"幼いころから海外の映画やアニメのコンセプトをつくり上げるアーティストに憧れを抱き、高校卒業後にイギリスにわたりボーンマス芸術大学(Arts University Bournemouth)にてアニメーションプロダクションを学び、2020年春よりバンクーバーにて海外就職を実現。"
お名前 坂口健吾さん留学先 イギリス
学校 ボーンマス芸術大学(Arts University Bournemouth)
期間 3年間
坂口健吾さんのご紹介
アフィニティ平田智義との対談
自分の夢をあきらめずにチャレンジし続けたからこそ、ひとつひとつのチャレンジした取り組みが点と点として線につながってきた事を実感されていらっしゃり、粘り強くチャレンジする事の大切さをお話してくださいました。
海外就職のなかでも、北米やヨーロッパはビザが非常に厳しいということもあって、大学を卒業したあとに新卒という状態で海外就職を実現するのは難しいと言われているのですが、今回は見事バンクーバーの企業からオファーをもらったということで、おめでとうございます。
バンクーバーの企業に決まる前も、100社近く送っては落ちていたので、いまは無事に決まってホッとしています。
海外就職をする場合、日本の大学に在学されている方が就職説明会へ行って、合同面接を受けるという就職の仕方と違いますよね。自分のスキルや経験をプロファイルして、自分がやりたい仕事に対してアピールしていくような〈日本でいえば転職活動のような形〉だったと思うので、ほぼ新卒のような状態でそれをやっていくのは大変だったと思います。
はい。海外就職の情報も少なかったので、日本の同級生が日本の企業に就活しているなか、自分だけ海外で就活していくことは大変ではありました。海外の企業は、主体性やセルフブランディングがキーワードになってくると思うので、そこを積極的にアピールしていきました。
さらっと「セルフブランディング」という言葉が出ましたが、なかなかその部分っていうのは日本人の学生さん、社会人であっても難しさを感じるところだと思うのですが、実際にどんなところを努力されたのでしょうか。
セルフブランディングに関しては、常にイギリスの大学3年間で日々練習できていたというのがあるんですが、他にはSNS(Instagram)を使って海外のコネクションを増やしていったり、企業に応募するよりも先に、中にいる人たちに自分の作品を見せておいたりとか、正攻法ではないものを辿ったというのもあります。
まず外の企業に目を向けるというよりも、身近なところから自分というのはどんな人間で、どんな能力があって、何がしたいのかっていうことを日々実践してこられたというところがセルフブランディングの第一歩になっているという感じでしょうか。
そうですね、カナダやアメリカの企業はOPTなどのプログラムがあると思うので、大学を卒業してそのままその国で働けると思うのですが、その国以外から応募する場合は、現地の大学生に比べて不利になる可能性が高く、僕も最初はそう感じていました。でも、”日本で18年間育って、そのあと3年間イギリスの大学で経験を積んだ人間はカナダにはなかなかいないだろう”という逆転の発想をし、そこをメインでアピールしていったというのはあります。
よく日本だと、他人と違うことを恐れる人もいると思うんですが、逆に言うと、自分の希少価値を見出してアピールできたというのもひとつの成功のきっかけなんでしょうか。
そうですね。アフィニティさんでやっていた本橋さんのグローバルキャリアセミナーに参加して教わったことなんですが、「100人に1人の人材になるというよりも、100×100で1万人に1人の人材になることを目指すといい」というのをイギリスへ行く前に聞いていて、3年間でどれだけ自分がユニークになっていけるかを常に考えて行動してはいたので、そこで自分の強みは「日本の文化を知っている」ということと「イギリスにいた」ということだなと思いました。
実際、そのグローバルキャリアセミナーを受けられたときっていうのは高校3年生くらいですよね。
そうですね、高校を卒業して2ヶ月くらいのときですね。18歳でした。
そのときに「100人に1人の人材になるというよりも、100×100で1万人に1人の人材になること」を認識されたというのはすごいですね。
まずは知識として入れておこうと思ったのもあるんですが、やっぱり本橋さんや平田さんという現地に行かれている方のお話はとても説得力がありました。僕の周りには海外の大学や大学院を卒業されている方はなかなかいなかったので、そういう機会があったら必ず自分に活かすようにとは考えていました。
いまおっしゃっていたように、海外大学を目指す高校生はまだまだ少ないですし、坂口さんが在籍されていた高校でも、海外の大学に進学するという方は学年にひとりいるかいないかですよね。周りが受験勉強をしているなか、自分は違った生き方をするということに対して、不安や心配はなかったですか。
僕は心配性なので、周りと別のことをするということに対して、常にストレスは抱えていました。とても不安で、何回も日本の企業に就職しようと思ったこともあるし、日本の大学に進もうと思ったこともあります。でもそのとき、両親や友達が「もう一回諦めずにやってみて、だめだったら戻って来たら?」ということを言ってくれたので、そのたびに自分の夢に戻ってみて…とやってきました。
高校2年生から本格的に海外大を目指そうと思って、進路の先生に相談に行ったときには「いまの英語の実力や学費の面でも難しいから諦めたほうがいいんじゃないか」と言われていたんですけど、アフィニティさんへたまたま行ったときに、平田さんが高校生の僕に熱心に、真摯にお話してくれて、「自分の夢を抱けば実現できる」とおっしゃっていただいたので、僕ももう一回目指してみようと思ったのは大きいですね。
在学中に苦労された点や頑張った点などいろいろあると思いますが、エピソードをお伺いしてもよろしいですか。
一番大変だったエピソードは、僕が一番お世話になった先生のことです。その先生はつい数年前まで業界で働いていたような方なので、とても厳しくて、先生に認めてもらえるように努力していたというのが一番大変なことでもありましたし、そこが一番セルフブランディングの練習になったところでもあります。
その先生は学校の世界であっても、留学生である坂口さんを特別扱いしてくれるわけでもなく、現地の学生と同じフラットな視点で見てきましたよということですね。
僕の学校はネイティブがほとんどだったんですが、そのなかでも容赦なく「君は絵を見る目がおかしい」とか「日本に帰ったら?」と言われたことも…(笑)だから帰ろうかなとも思ったんですが、その先生をどうにかして見返してやろうと頑張ったのは、いま考えると結構よかったのかなと。
それは具体的にどんなことをして認められたんですか。
一番は、課題をしっかりこなすことなんですが、それ以外に、先生と生徒という関係よりも、ひとりの人として認めてもらうのがとても大事だと思うので、朝一番に教室へ行って道具を並べておいて、先生に名前を覚えてもらったり、日本からお土産を持っていったりとか。先生と生徒の関係だったら意識しないようなことを常にやっていたなと思いますね。
僕も最初は「学費を払っているんだから先生として教えるのが筋じゃないか」という、日本の学生的な考え方をしてしまっていたんですけど、イギリスにいるからには、風習や文化に自分を適合させるのもひとつの技術かなと。
学生時代に色々なチャレンジをされてきた坂口さん、今後の海外での活躍が益々期待されます。